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作品がその周りの空間を規定する場合がある。反対に、空間が規定する作品もある。作品と空間の間には、そんな相互的な緊張関係がある。であれば、作品に応じて空間に手を加えたり、あるいは今そこにある空間を前提に作品を構想する一作品と空間が互いに反応し合い,関係を更新し続けるーーそんな展示空間のあり方があってもよいのではないか。今回のプロジェクトは、1990年代に建設されたこの建物(設計:妹尾正治)に、そのための初期状態をつくる改修である。公益財団法人石川文化振興財団には現在,約400点のコンセプチュアル・アートを中心としたコレクションがある。多くは現役の活動中の作家だ、展示に際して,作家に設置の希望を聞けば、あれこれ意見が出てこよう。それに合わせて、壊すところもあるだろうし、新たにつくらなくてはならないものも出てこよう.展覧会が終われば、作品は外す.けれど、空間の原状回復は行わない。前の展覧会で施された改変や痕跡が、次の展覧会を考える時の出発点になる。空間はずっとイン・プログレス=普請中で、いつまで経っても完成しない。いや、むしろ次第に壊され、ボコボコになっていくのかもしれない。けれど、それこそがこの展示空間の本質であり、価値なのである。展示空間が変化し続けることで,作品もまた変化し続ける。空間が動き続けるからこそ、そこにとどまることのない,常に現在進行形の創造の場となる。今回,改修した建物の隣に建っている建物も,その隣の駐車場も,財団が所有している。将来的には、作家から、これらのスペースを使いたいという声が出てくるかもしれない。長い時間の中で、展示空間が敷地内を移動し、変形し、現在の建物が姿を消し、敷地全体がまったく異なる様相を呈している可能性もある。未来は予測できない。だが、敷地内に今も残る岡山城の石垣は、この場所にとってかけがえのない資産であり、それとの関係は、今後いっそう重要なものになっていくだろう。展示空間の変化が石垣との関係を強化していくなら、それはこのプロジェクトのもうひとつの果実でもある。形式として言うならば、今回のプロジェクトは、「コンバージョン」である。しかし、それはある特定の完成・完結・安定した世界をつくり上げる作業ではなく、その逆に、次の瞬間,どちらの方向にも行けるような、不安定な均衡状態を意図的につくり出そうとしている。そうした不安定さこそが、展示空間として最も豊かな空間の質だと考えているからである。既存建築の内装は、ポストモダン建築らしく、強い記号性を持ち,確定された意味を空間に与えていた。今回の改修では、その内装を基本的には剥ぎ取っている。ただし、それは空間を“中立化するためではない。むしろ,意味を発しながらも,その意味が一義的に読めない状態ー一すなわち多義性のある空間一ーをつくるためである。たとえば,仕上げの都合によって、コンクリートスラブに「ヌスミ」が施されているため、そこに幾何学的な凹凸が現れるのだが,こうした(然の痕跡が、次の展示の起点になる可能性となる。場所によっては、床に貼られた黒影をそのまま残すという判断に至ったところもあり、またトラバーチンの壁を黒く塗りつぶしたりもしている。マイナスされるところもあれば、プラスされるところもあり、壊しているのか、つくっているのか、その両極が同居することで、どちらに転ぶか分からぬ意味の宙吊り状態を達成しようとしているのである。そういう状態は、まさに私が「原っぱ」と呼ぶもの。ここでは、それの決定ルールをオーバードライブすることで実現しようとはしていない。そうではなく、足し算と引き算とで暫定的につくられる、いわば「中立点」のありかを見つけるという方法を採用している。ちなみに,ジル・クレマンの「動いている庭」のアイデアは、谷底の小川が流れる荒地を、自宅の庭として取得したことから始まっている。荒地には、次から次へと、さまざまな植物が入り込んできて、毎年のように、様相を変える。しかし、放っておけば、そのうちに、繁殖力が強い種が入ってきて、それが全面を覆ってしまう。そこで、そうならないように、庭の様相がずっと変化し続けるように、「できるだけ合わせて、なるべく逆らわない」よう介入した。庭師という職業を,そういう手入れと再定義したのである。「原っぱ」も,クレマンの「動いている庭」と響き合っている。そこでは、空間の変化が止むことなく続き、その都度、応答がある。完成しないこと、変わり続けること。それを前提にした展示空間の可能性を試みている。

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作品がその周りの空間を規定する場合がある。反対に、空間が規定する作品もある。作品と空間の間には、そんな相互的な緊張関係がある。であれば、作品に応じて空間に手を加えたり、あるいは今そこにある空間を前提に作品を構想する一作品と空間が互いに反応し合い,関係を更新し続けるーーそんな展示空間のあり方があってもよいのではないか。今回のプロジェクトは、1990年代に建設されたこの建物(設計:妹尾正治)に、そのための初期状態をつくる改修である。公益財団法人石川文化振興財団には現在,約400点のコンセプチュアル・アートを中心としたコレクションがある。多くは現役の活動中の作家だ、展示に際して,作家に設置の希望を聞けば、あれこれ意見が出てこよう。それに合わせて、壊すところもあるだろうし、新たにつくらなくてはならないものも出てこよう.展覧会が終われば、作品は外す.けれど、空間の原状回復は行わない。前の展覧会で施された改変や痕跡が、次の展覧会を考える時の出発点になる。空間はずっとイン・プログレス=普請中で、いつまで経っても完成しない。いや、むしろ次第に壊され、ボコボコになっていくのかもしれない。けれど、それこそがこの展示空間の本質であり、価値なのである。展示空間が変化し続けることで,作品もまた変化し続ける。空間が動き続けるからこそ、そこにとどまることのない,常に現在進行形の創造の場となる。今回,改修した建物の隣に建っている建物も,その隣の駐車場も,財団が所有している。将来的には、作家から、これらのスペースを使いたいという声が出てくるかもしれない。長い時間の中で、展示空間が敷地内を移動し、変形し、現在の建物が姿を消し、敷地全体がまったく異なる様相を呈している可能性もある。未来は予測できない。だが、敷地内に今も残る岡山城の石垣は、この場所にとってかけがえのない資産であり、それとの関係は、今後いっそう重要なものになっていくだろう。展示空間の変化が石垣との関係を強化していくなら、それはこのプロジェクトのもうひとつの果実でもある。形式として言うならば、今回のプロジェクトは、「コンバージョン」である。しかし、それはある特定の完成・完結・安定した世界をつくり上げる作業ではなく、その逆に、次の瞬間,どちらの方向にも行けるような、不安定な均衡状態を意図的につくり出そうとしている。そうした不安定さこそが、展示空間として最も豊かな空間の質だと考えているからである。既存建築の内装は、ポストモダン建築らしく、強い記号性を持ち,確定された意味を空間に与えていた。今回の改修では、その内装を基本的には剥ぎ取っている。ただし、それは空間を“中立化するためではない。むしろ,意味を発しながらも,その意味が一義的に読めない状態ー一すなわち多義性のある空間一ーをつくるためである。たとえば,仕上げの都合によって、コンクリートスラブに「ヌスミ」が施されているため、そこに幾何学的な凹凸が現れるのだが,こうした(然の痕跡が、次の展示の起点になる可能性となる。場所によっては、床に貼られた黒影をそのまま残すという判断に至ったところもあり、またトラバーチンの壁を黒く塗りつぶしたりもしている。マイナスされるところもあれば、プラスされるところもあり、壊しているのか、つくっているのか、その両極が同居することで、どちらに転ぶか分からぬ意味の宙吊り状態を達成しようとしているのである。そういう状態は、まさに私が「原っぱ」と呼ぶもの。ここでは、それの決定ルールをオーバードライブすることで実現しようとはしていない。そうではなく、足し算と引き算とで暫定的につくられる、いわば「中立点」のありかを見つけるという方法を採用している。ちなみに,ジル・クレマンの「動いている庭」のアイデアは、谷底の小川が流れる荒地を、自宅の庭として取得したことから始まっている。荒地には、次から次へと、さまざまな植物が入り込んできて、毎年のように、様相を変える。しかし、放っておけば、そのうちに、繁殖力が強い種が入ってきて、それが全面を覆ってしまう。そこで、そうならないように、庭の様相がずっと変化し続けるように、「できるだけ合わせて、なるべく逆らわない」よう介入した。庭師という職業を,そういう手入れと再定義したのである。「原っぱ」も,クレマンの「動いている庭」と響き合っている。そこでは、空間の変化が止むことなく続き、その都度、応答がある。完成しないこと、変わり続けること。それを前提にした展示空間の可能性を試みている。
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作品がその周りの空間を規定する場合がある。反対に、空間が規定する作品もある。作品と空間の間には、そんな相互的な緊張関係がある。であれば、作品に応じて空間に手を加えたり、あるいは今そこにある空間を前提に作品を構想する一作品と空間が互いに反応し合い,関係を更新し続けるーーそんな展示空間のあり方があってもよいのではないか。今回のプロジェクトは、1990年代に建設されたこの建物(設計:妹尾正治)に、そのための初期状態をつくる改修である。公益財団法人石川文化振興財団には現在,約400点のコンセプチュアル・アートを中心としたコレクションがある。多くは現役の活動中の作家だ、展示に際して,作家に設置の希望を聞けば、あれこれ意見が出てこよう。それに合わせて、壊すところもあるだろうし、新たにつくらなくてはならないものも出てこよう.展覧会が終われば、作品は外す.けれど、空間の原状回復は行わない。前の展覧会で施された改変や痕跡が、次の展覧会を考える時の出発点になる。空間はずっとイン・プログレス=普請中で、いつまで経っても完成しない。いや、むしろ次第に壊され、ボコボコになっていくのかもしれない。けれど、それこそがこの展示空間の本質であり、価値なのである。展示空間が変化し続けることで,作品もまた変化し続ける。空間が動き続けるからこそ、そこにとどまることのない,常に現在進行形の創造の場となる。今回,改修した建物の隣に建っている建物も,その隣の駐車場も,財団が所有している。将来的には、作家から、これらのスペースを使いたいという声が出てくるかもしれない。長い時間の中で、展示空間が敷地内を移動し、変形し、現在の建物が姿を消し、敷地全体がまったく異なる様相を呈している可能性もある。未来は予測できない。だが、敷地内に今も残る岡山城の石垣は、この場所にとってかけがえのない資産であり、それとの関係は、今後いっそう重要なものになっていくだろう。展示空間の変化が石垣との関係を強化していくなら、それはこのプロジェクトのもうひとつの果実でもある。形式として言うならば、今回のプロジェクトは、「コンバージョン」である。しかし、それはある特定の完成・完結・安定した世界をつくり上げる作業ではなく、その逆に、次の瞬間,どちらの方向にも行けるような、不安定な均衡状態を意図的につくり出そうとしている。そうした不安定さこそが、展示空間として最も豊かな空間の質だと考えているからである。既存建築の内装は、ポストモダン建築らしく、強い記号性を持ち,確定された意味を空間に与えていた。今回の改修では、その内装を基本的には剥ぎ取っている。ただし、それは空間を“中立化するためではない。むしろ,意味を発しながらも,その意味が一義的に読めない状態ー一すなわち多義性のある空間一ーをつくるためである。たとえば,仕上げの都合によって、コンクリートスラブに「ヌスミ」が施されているため、そこに幾何学的な凹凸が現れるのだが,こうした(然の痕跡が、次の展示の起点になる可能性となる。場所によっては、床に貼られた黒影をそのまま残すという判断に至ったところもあり、またトラバーチンの壁を黒く塗りつぶしたりもしている。マイナスされるところもあれば、プラスされるところもあり、壊しているのか、つくっているのか、その両極が同居することで、どちらに転ぶか分からぬ意味の宙吊り状態を達成しようとしているのである。そういう状態は、まさに私が「原っぱ」と呼ぶもの。ここでは、それの決定ルールをオーバードライブすることで実現しようとはしていない。そうではなく、足し算と引き算とで暫定的につくられる、いわば「中立点」のありかを見つけるという方法を採用している。ちなみに,ジル・クレマンの「動いている庭」のアイデアは、谷底の小川が流れる荒地を、自宅の庭として取得したことから始まっている。荒地には、次から次へと、さまざまな植物が入り込んできて、毎年のように、様相を変える。しかし、放っておけば、そのうちに、繁殖力が強い種が入ってきて、それが全面を覆ってしまう。そこで、そうならないように、庭の様相がずっと変化し続けるように、「できるだけ合わせて、なるべく逆らわない」よう介入した。庭師という職業を,そういう手入れと再定義したのである。「原っぱ」も,クレマンの「動いている庭」と響き合っている。そこでは、空間の変化が止むことなく続き、その都度、応答がある。完成しないこと、変わり続けること。それを前提にした展示空間の可能性を試みている。
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| No. | 196 196 |
| Title | RABBIT HOLE RABBIT HOLE |
| Principal use | Museum Museum |
| Collaboration | KIKUCHI Atsuki (sign design) 菊地敦己(サイン) |
| Structural Design | Kanebako Structural Engineers 金箱構造設計事務所 |
| Facility Design | ZO CONSULTING ZO設計室 |
| Construction | TAIYO Corporation 太陽建設 |
| Architectural Design | AOKI Jun, ITO Ken 青木淳, 伊藤健 |
| Design | 2023.04 - 2024.02 2023.04 - 2024.02 |
| Construction | 2023.12 - 2024.03 2023.12 - 2024.03 |
| Location | Okayama City, Okayama 岡山県岡山市 |
| Site Area | 447m² 447m² |
| Floor Area | 991m² 991m² |
| Number of Stories | 3F 3F |
| Structure | RC+S RC+S |
| URL | https://data.shinkenchiku.online/projects/articles/SK_2025_05_052-0 https://data.shinkenchiku.online/projects/articles/SK_2025_05_052-0 |
作品がその周りの空間を規定する場合がある。反対に、空間が規定する作品もある。作品と空間の間には、そんな相互的な緊張関係がある。であれば、作品に応じて空間に手を加えたり、あるいは今そこにある空間を前提に作品を構想する一作品と空間が互いに反応し合い,関係を更新し続けるーーそんな展示空間のあり方があってもよいのではないか。今回のプロジェクトは、1990年代に建設されたこの建物(設計:妹尾正治)に、そのための初期状態をつくる改修である。公益財団法人石川文化振興財団には現在,約400点のコンセプチュアル・アートを中心としたコレクションがある。多くは現役の活動中の作家だ、展示に際して,作家に設置の希望を聞けば、あれこれ意見が出てこよう。それに合わせて、壊すところもあるだろうし、新たにつくらなくてはならないものも出てこよう.展覧会が終われば、作品は外す.けれど、空間の原状回復は行わない。前の展覧会で施された改変や痕跡が、次の展覧会を考える時の出発点になる。空間はずっとイン・プログレス=普請中で、いつまで経っても完成しない。いや、むしろ次第に壊され、ボコボコになっていくのかもしれない。けれど、それこそがこの展示空間の本質であり、価値なのである。展示空間が変化し続けることで,作品もまた変化し続ける。空間が動き続けるからこそ、そこにとどまることのない,常に現在進行形の創造の場となる。今回,改修した建物の隣に建っている建物も,その隣の駐車場も,財団が所有している。将来的には、作家から、これらのスペースを使いたいという声が出てくるかもしれない。長い時間の中で、展示空間が敷地内を移動し、変形し、現在の建物が姿を消し、敷地全体がまったく異なる様相を呈している可能性もある。未来は予測できない。だが、敷地内に今も残る岡山城の石垣は、この場所にとってかけがえのない資産であり、それとの関係は、今後いっそう重要なものになっていくだろう。展示空間の変化が石垣との関係を強化していくなら、それはこのプロジェクトのもうひとつの果実でもある。形式として言うならば、今回のプロジェクトは、「コンバージョン」である。しかし、それはある特定の完成・完結・安定した世界をつくり上げる作業ではなく、その逆に、次の瞬間,どちらの方向にも行けるような、不安定な均衡状態を意図的につくり出そうとしている。そうした不安定さこそが、展示空間として最も豊かな空間の質だと考えているからである。既存建築の内装は、ポストモダン建築らしく、強い記号性を持ち,確定された意味を空間に与えていた。今回の改修では、その内装を基本的には剥ぎ取っている。ただし、それは空間を“中立化するためではない。むしろ,意味を発しながらも,その意味が一義的に読めない状態ー一すなわち多義性のある空間一ーをつくるためである。たとえば,仕上げの都合によって、コンクリートスラブに「ヌスミ」が施されているため、そこに幾何学的な凹凸が現れるのだが,こうした(然の痕跡が、次の展示の起点になる可能性となる。場所によっては、床に貼られた黒影をそのまま残すという判断に至ったところもあり、またトラバーチンの壁を黒く塗りつぶしたりもしている。マイナスされるところもあれば、プラスされるところもあり、壊しているのか、つくっているのか、その両極が同居することで、どちらに転ぶか分からぬ意味の宙吊り状態を達成しようとしているのである。そういう状態は、まさに私が「原っぱ」と呼ぶもの。ここでは、それの決定ルールをオーバードライブすることで実現しようとはしていない。そうではなく、足し算と引き算とで暫定的につくられる、いわば「中立点」のありかを見つけるという方法を採用している。ちなみに,ジル・クレマンの「動いている庭」のアイデアは、谷底の小川が流れる荒地を、自宅の庭として取得したことから始まっている。荒地には、次から次へと、さまざまな植物が入り込んできて、毎年のように、様相を変える。しかし、放っておけば、そのうちに、繁殖力が強い種が入ってきて、それが全面を覆ってしまう。そこで、そうならないように、庭の様相がずっと変化し続けるように、「できるだけ合わせて、なるべく逆らわない」よう介入した。庭師という職業を,そういう手入れと再定義したのである。「原っぱ」も,クレマンの「動いている庭」と響き合っている。そこでは、空間の変化が止むことなく続き、その都度、応答がある。完成しないこと、変わり続けること。それを前提にした展示空間の可能性を試みている。
作品がその周りの空間を規定する場合がある。反対に、空間が規定する作品もある。作品と空間の間には、そんな相互的な緊張関係がある。であれば、作品に応じて空間に手を加えたり、あるいは今そこにある空間を前提に作品を構想する一作品と空間が互いに反応し合い,関係を更新し続けるーーそんな展示空間のあり方があってもよいのではないか。今回のプロジェクトは、1990年代に建設されたこの建物(設計:妹尾正治)に、そのための初期状態をつくる改修である。公益財団法人石川文化振興財団には現在,約400点のコンセプチュアル・アートを中心としたコレクションがある。多くは現役の活動中の作家だ、展示に際して,作家に設置の希望を聞けば、あれこれ意見が出てこよう。それに合わせて、壊すところもあるだろうし、新たにつくらなくてはならないものも出てこよう.展覧会が終われば、作品は外す.けれど、空間の原状回復は行わない。前の展覧会で施された改変や痕跡が、次の展覧会を考える時の出発点になる。空間はずっとイン・プログレス=普請中で、いつまで経っても完成しない。いや、むしろ次第に壊され、ボコボコになっていくのかもしれない。けれど、それこそがこの展示空間の本質であり、価値なのである。展示空間が変化し続けることで,作品もまた変化し続ける。空間が動き続けるからこそ、そこにとどまることのない,常に現在進行形の創造の場となる。今回,改修した建物の隣に建っている建物も,その隣の駐車場も,財団が所有している。将来的には、作家から、これらのスペースを使いたいという声が出てくるかもしれない。長い時間の中で、展示空間が敷地内を移動し、変形し、現在の建物が姿を消し、敷地全体がまったく異なる様相を呈している可能性もある。未来は予測できない。だが、敷地内に今も残る岡山城の石垣は、この場所にとってかけがえのない資産であり、それとの関係は、今後いっそう重要なものになっていくだろう。展示空間の変化が石垣との関係を強化していくなら、それはこのプロジェクトのもうひとつの果実でもある。形式として言うならば、今回のプロジェクトは、「コンバージョン」である。しかし、それはある特定の完成・完結・安定した世界をつくり上げる作業ではなく、その逆に、次の瞬間,どちらの方向にも行けるような、不安定な均衡状態を意図的につくり出そうとしている。そうした不安定さこそが、展示空間として最も豊かな空間の質だと考えているからである。既存建築の内装は、ポストモダン建築らしく、強い記号性を持ち,確定された意味を空間に与えていた。今回の改修では、その内装を基本的には剥ぎ取っている。ただし、それは空間を“中立化するためではない。むしろ,意味を発しながらも,その意味が一義的に読めない状態ー一すなわち多義性のある空間一ーをつくるためである。たとえば,仕上げの都合によって、コンクリートスラブに「ヌスミ」が施されているため、そこに幾何学的な凹凸が現れるのだが,こうした(然の痕跡が、次の展示の起点になる可能性となる。場所によっては、床に貼られた黒影をそのまま残すという判断に至ったところもあり、またトラバーチンの壁を黒く塗りつぶしたりもしている。マイナスされるところもあれば、プラスされるところもあり、壊しているのか、つくっているのか、その両極が同居することで、どちらに転ぶか分からぬ意味の宙吊り状態を達成しようとしているのである。そういう状態は、まさに私が「原っぱ」と呼ぶもの。ここでは、それの決定ルールをオーバードライブすることで実現しようとはしていない。そうではなく、足し算と引き算とで暫定的につくられる、いわば「中立点」のありかを見つけるという方法を採用している。ちなみに,ジル・クレマンの「動いている庭」のアイデアは、谷底の小川が流れる荒地を、自宅の庭として取得したことから始まっている。荒地には、次から次へと、さまざまな植物が入り込んできて、毎年のように、様相を変える。しかし、放っておけば、そのうちに、繁殖力が強い種が入ってきて、それが全面を覆ってしまう。そこで、そうならないように、庭の様相がずっと変化し続けるように、「できるだけ合わせて、なるべく逆らわない」よう介入した。庭師という職業を,そういう手入れと再定義したのである。「原っぱ」も,クレマンの「動いている庭」と響き合っている。そこでは、空間の変化が止むことなく続き、その都度、応答がある。完成しないこと、変わり続けること。それを前提にした展示空間の可能性を試みている。